将棋は文化資本(いわゆる教養)として麻雀に劣る。
一体、将棋のルールを理解し、将棋が強くなったからといって、将棋を通じて接近を図ることができる人間は社会の上層に少なく、社会の下層に多いこと等からしても、それが社会的上昇を果たす力にはなりえないということは容易に推察しえることがらである。
これに対し、麻雀は文系大学生に必須の文化資本であり、麻雀ばかりやっていた文系大学生が実際に社会の上層に上り詰めている事実からしても将棋より優位に立つ文化資本であるといえる。
この事実はわたしから将棋を真剣に学ぼうとする意欲を失わせ、麻雀を学ぼうとする意欲を高めさせる。
皆様はどう思われますか?
ご回答よろしくお願いします。
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将棋も麻雀も強くなった所で出世とは無関係だと思います.仕事が出来て対人関係が良くて会社への貢献度が高い人から出世するのが今の世の中です.両方が強くても、変人で対人関係が悪くてオンライン将棋やオンライン麻雀の決勝大会に出るために会社を無断欠勤する人は、会社には不必要です.将棋はする人が少ないですし完全に実力です.ジャンジャン横丁でも還暦過ぎたジイサンばかりが指しています.だが社会的な認知度が高いので、26歳以下でプロ段位4段になれば、それだけで生活できる.しかしプロになろうと思えば、東京大学に入学するよりも難しいですし、弁護士になるのと同じくらいの労力が必要かと思われる.一万局程度の定石を知らなければならないし、私もこれで嫌になります.一方麻雀は牌が隠れている、四人対戦である.直感勝負である.裏ドラなど運の要素も問われる.それゆえ素人がプロを撃破することが可能です.麻雀ユーザーも多いです.しかし金にはならないし、雀荘も乱立していて雀荘のボーイも、客との代打ちで負けて手取り五万円なんて悲惨な話しがあります.麻雀の方が社会的にランクは低いです.それでもコナミの麻雀格闘倶楽部我龍転生と、天下一将棋会の大会では、麻雀は三万人程度の参加、将棋は五千人程度の参加のようです.麻雀の方が人気があります.麻雀を学びたければ学んだら良いかと思うが、麻雀は一時的に勝つのは可能でも、勝ち続けるのが非常に困難です.それが出来れば一人前の雀士になれるかと思います.まず点棒をたくさん奪ってくださいませ!
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この質問はいただけないですね。将棋を馬鹿にしすぎです。
貴様は麻雀打ちの恥だ。
notbjjr3さんは将棋の方が立派ということなので、
将棋を地道に覚えようかな。
麻雀だってまだまだ出来てないけど・・・
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まず、将棋は教養ではない。真剣勝負であり、試合である。負ければ全て自己責任で言い訳などありえない。プロ界と他との境界線も著しくはっきりと区別されており、棋士はみな選ばれた精鋭中の精鋭である。確かに、教養としては麻雀におとるだろう。社会の上層に将棋が強い人が少ないのも当然で、本当に才能を持ち合わせ、将棋の強い者は、棋界という俗世とは少し離れた場所に身を置くことになるからである。逆に下層に将棋好きが多いというのも、奨励会という棋士になるための最高難易度の試練の場で敗れたものがそこに組み込まれることになる場合が多いため、自然であろう。
一方麻雀は優れた教養である。運に作用されるゲーム性は社交的に都合がよく、またある程度の読み、カン、洞察力、マナーと社会で必要な能力も求められるからである。人間性がうかがえるというのも麻雀が持ち、麻雀を高度な教養にたらしめている特徴だろう。
要は少し、ジャンルが違う。しかし、質問者様がどちらを真剣に学ぼうと、何かを得ることができるという点で、これら二つの頭脳のスポーツは、日本が誇れる知的な重要文化であろう。
ま、将棋が好きな人は、だいたい麻雀もできるけどねww
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・ステークホルダーが多い程、調整のスキルを必要とする
・実社会では、スピード感とリズムが重要である
・実社会では、理屈や努力だけでなく、運を取りこむ機転や勘も必要である
・大なり小なり「一般的に良くない事」を経験した人でなきゃ、上に昇り詰めることなどできない
社会で活躍する人は、麻雀やらせたら強くなるのは必然的な事でしょう。
その逆も正しいとは限りませんが、麻雀が「上に昇り詰める資質があるかどうか」の判断材料にはなるかも知れませんね。
偏差値高くても出世できない人と、低いけど出世する人のどっちが優れているかの論争を見ているようです。
静的スキルの教養としてはむしろ将棋の方が高く、動的スキルの社会適応力として麻雀の方が高いと思います。
社会にはどっちも必要なので、将棋でも麻雀でも、好きな方をやればいいと思いますよ。
私なら麻雀を選びますが、とっても弱いというこの事実…
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別に昇進する為に将棋や麻雀なんかやってないよ。
趣味として好きだからやろうと思うんじゃないの?
私は10年以上将棋やっていて、麻雀にも手を染めたこともあったけど、結局将棋に戻ってきたよ。
麻雀を将棋より先に始めた人は絶対に今後将棋をやらないと思うよ。
どうしてかって?
麻雀の方が強くなるのが遥かに簡単だから。
将棋の方が麻雀より何万倍も難しいゲームだからね。
わざわざせっかく強くなったのに、麻雀を一端止めて、更に難しい将棋に手なんか出さないよ。
将棋は運とか偶然なんて通用しないゲームだから、初心者なんか負けるための物だもん。
だから将棋は麻雀より遥かに崇高なゲームなんだよ。努力家がやるゲームだよ。
楽して勝ちたいなら、麻雀やればいいし。
本当の勝ちというものを味わいたいなら将棋やればいいじゃん。
文化資本とかなんとか言ってる様じゃ、将棋にしろ、麻雀にしろ、本当の醍醐味は味わえないよ。
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「何をするか」より、「誰と、どの様にするか」だと思います。
また、コミュニケーションをとる為であれば、
ルールとマナーを知っていれば、強さは重要ではないので、
深く、学ぶ必要性はないかと思います。
(状況によっては、必要な場合があるかもですが・・・)
私の場合は、同年代とのコミュニケーションでは麻雀
年上の人とのコミュニケーションには将棋
の場合がよく有ります。
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単なるこじつけですね。まさに暴論である。
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これあなたの考えじゃないですよね?言ってることが滅茶苦茶。
>将棋を通じて接近を図ることができる人間は社会の上層に少なく・・・・・麻雀ばかりやっていた文系大学生が実際に社会の上層に上り詰めている事実からしても将棋より優位に立つ文化資本であるといえる。
人数じゃなくて割合で比較しましょうよ。絶対数で比べて何の意味があるんですか。学生の枠内じゃ、「麻雀人口>将棋人口」なんだから当たり前。
ちなみに自分は将棋も麻雀も好きです。
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パチンコやってる人間が、パチンコの有用性、その有意義な点を羅列して必死に優位性を持たせようとしているかの様(笑)
突出した才能溢れる天才より、群れる才能持った凡人達の方が出世には有利、と言いたいわけですね?
それも所属したコミュニティいかんによりけり、Case by caseですね。ただ感情論としては、何だか認めたくない自分がいます(笑)
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文化資本として麻雀を学ぼうとされているのでしたら、やめておいた方が無難だと思います。
というのは、質問者さんが言われているほど、麻雀は文化資本としての価値は高くないからです。教養を高めるために必死で麻雀を覚えたとして、果たして教養が身につくかというと疑問です。
確かに麻雀を通じて、人とのコミュニケーション能力や分析力・忍耐力・精神力・社会適応力などが身につくケースもあります。(場合によっては経済力がつくこともあります。よほどの勝ち組に限られますが。)
しかし上記の文化資本は、社会に出て働けば身につくものであって、特に麻雀によって身につける必要を感じません。
また、「麻雀は文系大学生に必須の文化資本」と書かれていますが、文系に限定する必要はなく、さらに必須でもありません。麻雀を知らなくても教養の高い学生はいくらでもいます。
結論として、文化資本を高めるために麻雀をするのでしたら、本を読んだり、いろいろ社会に出て社会勉強してみたりした方がよほど文化資本を高められます。
ただし、楽しむために麻雀を覚えてみるというのでしたら大賛成です。
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へえなるほど、面白い
確かに上司との接待で麻雀をやったり、ゴルフをするのも
多いですよね。
まあ将棋好きの人もたくさんいるから、なんともいえないが
麻雀は一気に4人でできるところが魅力
では将棋は必要ではないのかというと
そうじゃないと思います。
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まず定性的には正しい(であろう)と思いますが、定量的にはいかがなものかと。
社会の上層に将棋が出来る人は少なく下位層に多いことの根拠は無く、社会的上昇に結びつかないことの論理的基盤が怪しい。
麻雀が文系大学生必須の文化資本である根拠は無く、麻雀ばかりをやっていた文系大学生が社会の上層に上り詰めている事実が存在する根拠は無い。
麻雀ばかりをやっていたことと社会の上層に上り詰めたことの論理的繋がりが無い。仮に「社会の上層ならば麻雀が出来る」という命題が正しくても、「麻雀が出来れば社会の上層である」が正しいとは言えない(簡単な数学です)。
もしこれを何らかの主張の形としたいならば、もっと具体的な根拠を示す必要が有ります。
少なくとも私には「容易に」将棋が役立たないとは思いませんし、社会の上層が将棋をやらずに麻雀をやっているという前提そのものに納得できません。
あなたの思想そのものには全く反論が無いのですが、文章の体裁は少し見直した方がいいかなと思います。