将棋は何年前からあったんですか?
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日本将棋、中国将棋、インド将棋、西洋将棋(チェスの事)など、世界には様々な将棋がありますが、日本将棋がほぼ、現在の形になったのは江戸時代です。
しかし、最初はチェスと同じで持ち駒の再使用は出来ませんでした。
その後、江戸時代に持ち駒再使用のルールが採用され、日本将棋独自のルールとして広まり、日本将棋というもののゲームとしての”幅”が広がりました。
それまでと全く違うゲームとなり、可能性が無限に増えたのです。
今や将棋は、ただのゲームではなく、日本の代表的な文化として根付いています。
世界にも日本将棋は徐々に広がり、プロ棋士でも主要タイトル戦での7番勝負は海外対局は毎回一局は行われます。
将棋は日本が世界に誇る知能派ゲームです。
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8世紀ころだとうぃきに書いてありました
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大橋宗桂が織田信長から「おまえは名人だ」といわれたのがきっかけで将棋の名人位の誕生し、大橋宗桂が一世名人になったそうですから、現在の将棋とほぼ同じものが安土桃山時代に存在していたと思われます。ざっと450年ぐらい前ですね。ちなみに朝倉義景(大河ドラマ「江」でも序盤に登場した、浅井朝倉連合軍の朝倉家当主)の館跡から将棋の駒が発見されており、通称、朝倉駒と呼ばれています。
もともとは小将棋という現在の将棋から飛車角がない状態のものに、中将棋の駒である飛車と角行を足し、さらに取った駒の再利用ルールを追加して現在の将棋となったといわれています。ほかにも大将棋とか泰将棋とか大局将棋とかいろいろあったようですが、小将棋と中将棋以外は実際に対局されていたのかどうか疑問のようです(大将棋は対局されたらしいという説もあり)。で、これら将棋のご先祖様については平安時代、11世紀前半の文献に記録が残っているそうですので、これも将棋とするならざっと千年前となります。
世界的にみた将棋の発祥としては、古代インドで生まれたチャトランガというゲームというのが通説で、これが西に渡ってチェスとなり、東にきてシャンチー(中国の将棋)やチャンギ(朝鮮の将棋)、マクルック(タイの将棋)になったといわれていますが、伝来の時期についてはよくわかってないようです。日本に伝来したルートについても、歴史的なつながりを考えれば中国から、あるいは朝鮮半島経由と考えて当然なんですが、シャンチーとチャンギがよく似ているのに対し、日本の将棋は異なる点が多く、むしろマクルックに類似点があるので、東南アジアルートで伝来したと考えたほうが自然のように思います。
なお、日本と中国の国交が回復して日中平和友好条約が締結されたころ(1972年)、ランランカンカンのパンダブームは凄いものがありましたが、将棋のほうでもちょっとしたシャンチーのブームがありまして、単行本が出たり近代将棋にシャンチーの付録がついたりしました。ま、付録といっても1枚の紙にシャンチー(当時は中国象棋といってたような)の駒と盤が印刷され、自分で厚紙に貼り付けて切り抜いて対局するというものですが。
で、当時購入した入門書のコラムにシャンチーの由来などが書かれてまして、漢の将軍で後に粛清された韓信が考案したなどという説が載ってました。そのほかにも、囲碁の別名が文棋、シャンチーが武棋という話も載っており、さらに今では消えた文武棋というのもあって、これが日本の将棋のルーツでは、なんてことが書かれてました。ま、この本以外では見かけたことのない説ですが。
長々と書いてしまいましたが、要するに現在の将棋は450年ぐらい前には存在し、さらにそのルーツとなった日本の将棋の仲間は千年前には存在した。さらにそのルーツとなる古代インドのチャトランガは諸説あるが紀元前に遡る可能性がある、ということです。
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もとは、古代インドのチャ(シャ)トランガという説が有力らしいから、紀元前数百年から1000年位前かな
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3年くらいまえだったかなぁ~w(゚o゚)w
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