「将棋」の考案者は誰ですか?
ちょっと昔には軍隊将棋(?だったような名前)もありました。今はみないけど。
誰か知りませんか?
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将棋は、インドのチャトランガが中国経由で奈良時代もしくは平安初期に伝わったとされています。
その後、平安貴族の間で仏教の浸透と共に、駒を考える事がはやりましたが(駒の名前に深い意味の仏教用語をつけるのが主流だったようです)、どんなに駒を付け足す事はあっても、はっきり言って面白くないのでほとんど指されなかった様です。
一方平安、鎌倉を経て室町時代に入る過程で少しづつ庶民に余裕ができ、将棋を楽しむ人々も増えてきました、こちらでは「指して楽しめる」という事が重視されたので、次第に中将棋系の再利用無し、駒数多く、一つ一つの駒も強力という路線から離れ、再利用有りだが駒数は少ないという現在の本将棋系路線になったと言われています。そして、現在の本将棋と現在の本将棋+酔象一つ(成ると太子、真後ろ以外の7マスに移動可能)というルールの二つが他を駆逐していきます。
さらにそこから現在の本将棋の形が完全に主流になったのは室町から戦国時代にかけてだったといわれています。
まとめると、現在の将棋の形になった由来・考案者は、「庶民の知恵」ですね。(もっとも、ある程度の富裕層ですが。)
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将棋は中国から伝来したといわれ(他の説もあるにはありますが)、その後に日本の将棋の形にルールが変わっていった(取った駒を使えるなど)とされています。
肝心の伝来した時代ですが、これに関してははっきりとしたことは分かっていません。
現存している記録のなかですと、最も古い棋譜は1607年(江戸初期)の初代大橋宗桂と本因坊算砂の対局のものがあり、将棋自体の記録では天喜6年7月26日(1058年)と書かれた将棋についての記録の木簡が発見されているようです。
なので1058年以前に伝来があったことは確かですが、この時点で今のルールであったかどうかはちょっと私も知りません。ゴメンナサイ。ただ先述の1607年の棋譜は右四間飛車対四間飛車という対戦で、これは現在のルールと同じと思われます。
軍隊将棋というのは軍人将棋のことですかね?これに関しては名前ぐらいしか知らないので良く分かりませんが、ミサイルとか言う駒もあったと思うので、たぶん二次大戦以降でしょうね・・。
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