2012年3月26日月曜日

将棋の起源ってどこからきたのですか? 日本じゃないとは聞いてますが一体どこか...

将棋の起源ってどこからきたのですか?



日本じゃないとは聞いてますが一体どこから来たのですか?



なぜ将棋は生まれたの?


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<世界の将棋の仲間たち>





将棋の起源は、古代インドのチャトランガというゲームです。

紀元前3世紀頃に、ガンジス川中流域で生まれたようです。

これをもととして、世界中に広がったバリエーションのうちの一つが、将棋です。



西



ペルシャに渡ってシャトランジとなり、ペルシア(イラン)を通って、

まずトルコからロシアへ伝えられました。

シャトランジでは、イスラム教の“偶像崇拝禁止”の教えから、

駒の姿が象徴的なものになりました(例…“王”は“玉座”で表わされた)。

次に中東から、長らくイスラムの支配を受けたスペインへ伝わり、

これが後のチェスにつながっていったと考えられています。

この途中で、様々な大型のチェスが創り出されていますが、

なぜ大型になったのかと言うと、これらは取った駒を使えないルールだったので、

最後に駒が少なくなりすぎて勝負がつきにくかったので、駒を増やしたのです。

チェスは結局、駒を強くすることで何とかさせました。

(但し、それでもチェスには引き分けが多いですが…。)

また、チェスでは駒が一部、具体的な形を表わした駒へ戻りました。

ナイト(馬)やルーク(城)は、見れば何を指しているかわかります。

また、非常に強いクイーン(女王)が生まれました。

キング(王)、クイーン、ビショップ(僧侶)は、帽子もしくは冠で表わされています。







サマルカンド経由で(おそらく)、チベットやモンゴルに残っています。

チベットの将棋は、モンゴルのシャタルと似ているようです。

シャタルは、木彫りの駒のウサギがかわいいですよ!…話逸れましたね。







スリランカから、8世紀には海を渡りビルマに伝わっていきました。

タイへ伝わったルートはよく分かっていません。

タイのマックルックは将棋と類似した点が多く、

南方伝来説の見方の中では、この関係が重要視されています。

マックルックの一つひとつの駒のデザインは、

東南アジアの上座部仏教の寺院の屋根のような形をしています。

駒の名前の中に、貝や種、船などがあり、

貝や種が駒代わりに使われたと考えられています。







中国・朝鮮半島などに伝わりました。

唐代は駒はマス目に置いて、形で駒を表わしていましたが、

北宋の時代からは駒が漢字で表わされ、

線の交点に平たい駒を置くようになりました。

シャンチー(象棋)は、幾つかユニークなルールを持っています。

まず、九宮と呼ばれる城に見立てられる所から、

将と士(後手なら帥と仕)出られません。

また、中央の一列は大河(長江と言われます)に見立てられているのですが、

相(象)はこの河を越えられません(重過ぎるとか…)。

兵(卒)は河を越えると戻れなくなります(前進あるのみとか)。

中国からは朝鮮をはじめ、ベトナムなどに伝えられています。

朝鮮のチャンギも、駒は交点に置きます。

宮から出ることはできませんが、こちらには河はありません。











<日本将棋>





将棋がいつごろ、どのようなルートで日本に伝わったかは判っていませんが、

早く見る説では6世紀ごろとされています。ルートについては今のところ、



中国伝来説(タイ→ベトナム→中国→朝鮮半島→日本)

南方伝来説(タイ→ベトナム→フィリピン・台湾→琉球(沖縄)→日本)



この2つがよく言われています。



一番昔の、将棋伝来から鎌倉時代前期ごろまで指されていた将棋は、

「平安将棋(盤面9×9マス、36枚)」

と今は呼ばれていて、今の形から飛車と角を抜いた形です。

この当時は、まだ持ち駒は使っていません。



また「平安大将棋」というものもありました。やはりこれもビッグバージョンです。

13世紀ごろには平安大将棋からさらに駒を増やした、

「大将棋」が貴族や僧侶などの有閑階級の間で遊ばれるようになります。

「大将棋」の飛車・角行・醉象を、「平安将棋」に取り入れた、

「小将棋(今の将棋に、各1枚玉の上に“醉象”がのっかった形。

この駒は成ると“太子”になり、玉が取られても世継の大将となり、

その後も更に対局が続行されます。)」も作られました。



15世紀ごろには、複雑になりすぎた「大将棋」をコンパクトにした、

「中将棋(12×12マス、92枚、今でも遊ぶ人はいます)」が作られました。

16世紀ごろに、小将棋から醉象が除かれて、

今の将棋になったと考えられています。

(醉象を残したまま再使用できるルールにすると、

取った醉象を敵陣に打ち込んで成ることで、

対局が終わらなくなってしまいます)



駒の取り捨てルールで引き分けが多くなるので、

相手の駒を取った後自分の駒として使えるようにすることで、

勝敗がつきやすいようにしたのです。



…また少し話がそれますが、以前『トリビアの泉』で、

伊藤博文六段と安用寺孝功(当時)五段が旅館に泊まって、

3日をかけて「大将棋」を指したことがありました(結果は伊藤六段の勝ち)。

2人は2度とやりたくないと言っていましたが・・・^^;。

実際やったら気が遠くなりそうですよね。



参考になればうれしいです。

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