将棋は文化資本(いわゆる教養)として麻雀に劣る。
一体、将棋のルールを理解し、将棋が強くなったからといって、将棋を通じて接近を図ることができる人間は社会の上層に少なく、社会の下層に多いこと等からしても、それが社会的上昇を果たす力にはなりえないということは容易に推察しえることがらである。
これに対し、麻雀は文系大学生に必須の文化資本であり、麻雀ばかりやっていた文系大学生が実際に社会の上層に上り詰めている事実からしても将棋より優位に立つ文化資本であるといえる。
この事実はわたしから将棋を真剣に学ぼうとする意欲を失わせ、麻雀を学ぼうとする意欲を高めさせる。
皆様はどう思われますか?
ご回答よろしくお願いします。
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こういったものは、直接的に役に立つものではなく、考え方など、間接的に役立ち、養われていくものです。
麻雀も将棋も、理論を構築するという点では同じものです。
麻雀が優で将棋が劣である根拠は、甚だ曖昧で、理論的ではないです。
将棋を知らずして、或いは麻雀を知らずして、それを論じるのは嘲笑の謗りを受けます。
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難しいことはよく分かりませんが、下の方が言ってる通りだと思います、そんなこと分かりませんし(麻雀は文系大学生に必須の文化資本であり、麻雀ばかりやっていた文系大学生が実際に社会の上層に上り詰めている)。麻雀してるから社会の上層に上り詰めるなんて(笑)説明不十分
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「将棋はいわゆる教養として麻雀に劣る」という結論と理由が不一致である。
なぜなら、理由の所では専ら麻雀は社会の上層部に成り上がる手段とされているが、このことと教養とは別のものである。
また、「麻雀ばかりやっていた文系大学生が実際に社会の上層に上り詰めている事実」なんて証明できないし、感覚的には嘘八百としか思えない。
よって、下らない戯言だと思います。
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まあ、いまどき麻雀が必須とはとてもおもえんが・・・・ まあ4人でやるから、コミュニケーション力やなんだろ、スキンシップ的な、ものにもなるし、・・・・ しかし、麻雀ねえ。(笑) ただのギャンブルじゃん ギャンブルが原因で家庭崩壊、家庭不和、を考えたら・・・どっこいどっこいだろ。 何故、将棋に固執する? ガン◯ム好きは、オタクが多い?とか、 ◯斗の拳好きは、荒っぽいとか、なんでもいえるじゃん。 くだらねえ。
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>社会の下層に多いこと等からしても
>麻雀ばかりやっていた文系大学生が実際に社会の上層に上り詰めている事実からしても
とりあえずこれが事実かどうか信用できない。
<麻雀をやっている人が社会の上層に上り詰めている⇒麻雀は役に立つ>は少し無理が有るような。あなたの言うとおりに文系大学生がみんな麻雀をやっているとしたら、麻雀によって社会の上層に上り詰めたとはいい切れない。他の要素が絡んでいると考えた方が妥当。
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