2012年3月11日日曜日

社会の下層に将棋の愛好者が多く認められるということは文化資本として将棋が劣っ...

社会の下層に将棋の愛好者が多く認められるということは文化資本として将棋が劣っているということでしょうか。

一体、将棋のルールを理解し、将棋が強くなったからといって、それが社会的上昇を果たす力にはなりえないということは、社会の下層に将棋の愛好者が多くいることから容易に判断しえることがらである。

この事実はわたしから将棋を真剣に学ぼうとする意欲を失わせる。



皆様はどう思われますか?

ご回答よろしくお願いします。


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社会の下層に将棋の愛好者が多いのは、単に将棋が廉価で楽しめる遊戯だからだと思いますよ。

もし、そのことから文化資産としての将棋の優劣に繋げたいのであれば、下層には多いにも関わらず、上層には将棋の愛好者が稀である事実が必要となってくるかと思います。その両者が揃って初めて、質問者さんの主張は説得性を持つのではないでしょうか。

もし上層にも愛好者が多いのであれば、下層に愛好者が多いという事実は、単に将棋人気の広さを示すものにしかならないでしょう。論の証明には下層の事実だけでは不十分ということです。是非、上層の事実もお調べになって説をコンプリートしてください。



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結論から言います。

「趣味は人の収入を奪う」

それだけです。



将棋じゃなく、パチンコでもゴルフでも、

趣味に熱中しすぎると、より高い収入を得る為の努力をする時間を削ります。

趣味に熱中しすぎたせいで、資格が取れない、会社での努力を怠る等々ですね。

ですので、将棋に限った話じゃないと思います。



「将棋のルールを理解し、将棋が強くなったからといって、それが社会的上昇を果たす力にはなりえない」

当たり前です。

趣味で収入が得られれば、それは趣味じゃない。職業です。

草野球は趣味、プロ野球は職業です。



「この事実はわたしから将棋を真剣に学ぼうとする意欲を失わせる。」

あなたも将棋をやっても大丈夫ですよ。

限度を越えなければいいんです。

自分を律することができれば何をやっても大丈夫です。

自分が甘えるタイプだと自覚の場合は、

「大事な時期」に将棋は止めておきましょう。

もし、

将棋が上手くならないルサンチマンからの発言だとすれば、

言える事はひとつです。「乙」。



補足について

「社会には階層というものがあります。」

これは社会によります。

収入の多い人も少ない人もいますが、

日本には階層はないです。

なぜなら、上昇するのも落ちぶれるのも自由だからです。

完全に断絶していれば階層と呼べます。

つまり、いくら努力しても収入の増えない社会ですね。

ドイツに滞在していた時期があるんですが、

ドイツには階層があります。

チェコ人の貧困層が多くいて、

低収入(駅とかで新聞売っている人が多かった)でしたが、

彼らはドイツでは高収入にはなれません。

逆にドイツ人もチェコ人の階層まで落ちれません。

様々な理由で、新聞売り等は「チェコ人の仕事」だからです。

日本にあるのは「階級幻想」だけです。

なのに「階級意識」を持つ人は存在する不思議な社会です。

明日は我が身かもしれないのに。



私見

私はあなたの発言を理解しようとしましたが、

どうやら他の方から余計な反発を招いているようです。

高収入を目指すのであれば、

発言には日々気をつけられたほうがいいと思います。

高収入が得られるようになるのは時間がかかる割りに

失言で収入が落ちるのは一瞬です。


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qwei004さんのおっしゃるように上層にどれだけ愛好者がいるのか、質問者様のおっしゃる上層全体との比率で考えなければなりませんね。また、たとえ比率が少なかったにせよ上層の愛好者は下層に比較して強かったとしたら、それはひょっとしたら社会的上昇を果たす力にはなりえたかも知れないという推論が成り立ちますよね。

ということで質問者様の疑問にお答えするために必要なデータは下記。

①社会の下層の将棋の愛好者の割合とその棋力の平均とばらつき、及び何年将棋を愛好しているか

②社会の上層の将棋の愛好者の割合とその棋力の平均とばらつき、及び何年将棋を愛好しているか

③上層の愛好者は将棋を始めたとき上層であったか、下層であったか。

上記のサンプリングデータを揃えれば議論する素地ができるでしょう。

私の推論は(上記のデータからは言えないと思いますが)、社会的上昇を果たす力がある人はある程度将棋が強くなる力がある人だということです。将棋が強くなる→社会的上昇を果たす力があるではありませんので誤解無きよう。

the_encyclopedia_kiteretuさん

ど~でもよいことですが、的は射るものです。質問者様の言い分は的を射たものとは思えないのですが・・・・


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将棋は第一にゲームですから、単なる趣味として嗜む方が多いのは理解できませんか?

将棋や囲碁に限りませんが、プロが存在するレベルの勝負ごとは戦略が研究されどんどん発達しますから、歴史が長ければ長いほど学ぶべき哲学がそこに生まれていきます。

あなたは、少年野球とプロ野球を一緒に考えているのですか?

失礼ですが、あなたは「知的レベルの上層」にいる方ではないようです。

あなたは実益を伴わない趣味を持たない人とお見受けしますが、賢い人・成功者には多趣味な人が多いです。


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あなたの意見に全面的に賛同させて頂きます。



社会の下層に将棋の愛好者が多い、という点は的を得ていると思います。

将棋という趣味は暇がなければできませんし、金もかかりません。

激しい運動や外出もする必要のないため、無産階級者に将棋の愛好者が多いことは事実でしょう。



しかし、社会の下層部に愛好者が多いからといって、文化資本として将棋が劣るか、というとそうではないと思います。



社会の下層部にある人間は基本的には文化資本からは疎外されているため、彼等が現在の竜王や名人に勝てるだけの技術を持っていたところで、表に出ることがなければ、文化に傷をつけることもなければ貢献することもありません。



また、質問から推測して、質問者さんに将棋能力が絶望的にない、ということは明かですが、将棋という「ルール」において勝負が行われた結果、下層の人間が将棋能力が絶望的に欠落した質問者さんを負かせたならば、それは質問者さんの負けです。



つまり、社会の階層などとは別に、「ルール」内における勝敗はあくまでその「ルール」内に委ねられるため、階層的な優劣を理由に質問者さんの絶望的に欠落した将棋能力を正当化しようとしても、無意味です。



もし、質問者さんより優れた将棋能力を持った下層部の人間に勝ちたいのであれば、それはやはり、将棋という「ルール」で勝負するしかないのです。


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文化資本に優劣の概念はそもそも内包されていません。


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貴方のいう、「社会の上層」とは一体何ですか?

これを見て下さい。

貴方の質問が意味不明である事は証明済みですよ。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1034011340...



それから私の質問に答えていませんよ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=143...



答えて下さい。

答えなければ貴方の理論は論破された事になります。



もう一回言いましょうか?



社会の下層というのが何を意味しているのかよくわかりませんね。

ホームレスと言っていますが、ホームレスだろうが社長だろうが誰がやろうと勝手ですよ。



要するに貴方は経済的弱者をテキトーに批判したいだけなのではないですか?

そういうのを「差別」といいます。私はそういう「差別大好き人種」は許せません。



世の中の全てのものについて優劣判断をするというのは問題行動です。

個性・独自性を微塵も尊重しない様な下劣な人種は嫌いですね。



ここまで言っても貴方がまだ自論を貫徹するというのならば質問します。



・「総理大臣と最高裁判所長官」はどちらが劣っていますか?



・「アメリカ大統領とEU大統領」はどちらが劣っていますか?



・「行政刷新担当大臣と国土交通大臣」はどちらが劣っていますか?



それぞれ立場が違うのにもかかわらず、単なる数直線的判断をするのは間違っています。



どうですか?私の言っている事に間違いはありますか?

反論ありならばベストアンサー選出の際、コメント書き込み欄に書いて下さい。



書かなければ私の勝ちという事になりますよ。

ブラックリストに入れても私の勝ちです。



(補足に対して)

なるほど、医師は上層、労働者は下層ですか。



で、何がしたいのですか?差別しておいて何が面白いのでしょうか。



市橋容疑者は建築会社で肉体労働をしていました。

貴方はこの様な人々を「社会の下層」と位置付けています。

つまり、自分よりは明らかに「下」と見ているわけですよね?



貴方の住んでいる家にも当然こういった人々が関わっているでしょう。

という事は、貴方はその「けがれた家」に住んでいるわけです。



毎日けがれを清める儀式でもやっていらっしゃるのですか?



人それぞれは違った生き方をします。

それに優劣を付け、勝ち組・負け組みだとギャーギャー騒ぎ立てるのは愚か者のする事です。



例えば芸術家では、生きている間、全く評価されず、死後、初めて評価される人がいます。

宮沢賢治もこれに該当します。

しかし、生涯中は負け組みという目で見られるかもしれません。



何が言いたいかというと、肝心なのは

「その人が努力して何をしたか」なのであって、

「社会的地位」ではないという事です。



例えば秦の始皇帝。

彼は社会的地位ではトップでしたが、民を苦しめた暴君です。

万里の長城を築かせる工事の時、一日遅れた者は打ち首になったそうです。

世の中は「人を多く殺した役人こそが忠臣」という体制でした。



果たしてこの様な人間が素晴らしいと言えますか?



身分は低くとも、民を救わんと立ち上がった者の方が遥かに英雄です。



よくよくご賢察下さい。


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将棋は野球やサッカーと同じく、社会層を問わず拡がっています。相当強くなれば社会的(地位?)上昇を果たす力になりえるでしょう。例えば名人の社会的地位は十分に高いと思われます。かなり難しいでしょうけど。


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ソースはどこからですか?




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あなたの理論からすると社会の上層に行けないことはやりたくないのね。

それは一つの考え方だからなんともいわんけど、

人生を楽しみたいという考え方が頭の中にあるのならまた答えは変わってくるかもね。

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